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爽やかだったり、鬱だったり。ええ、そううつってやつです。 苦節9年、2014年にやっと、正式に双極性障害の診断が下りました。 鬱とフラットをラピッドに繰り返して、滅多に「爽」や「軽躁」になりません。
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2016年の12月下旬に怪我をしてしまった。自転車に乗っていて、柱にぶつかってしまったのだ。肋骨が痛い。病院でレントゲンを撮ってみると、折れてはいないがヒビが入っている可能性があるとのことだった。ほおって行けば自然に治るから大丈夫(治療法は無い)とのことだった。仰向けで寝ていない限りは痛むので、寝たきり生活が始まった。
2月半ば位まで寝たきりだったと思う。以前はよく座ってパソコンをしていたが、寝ている姿勢では何もすることがない。文庫本を読むのも無理だ。スマホがあればできたかもしれないが、私は世の中から遅れているので、当時まだスマホを持っていなかった。
何もすることがなく、できるのは考え事ばかりだった。頭の中にたくさんの文章が湧いてきた。

2月頃になって治ると、湧いていた沢山の言葉を、これとは別のブログに記した。パソコンで、ブログ書きに熱中しまくる5か月間が始まった。
問題は、我が家のパソコンは、デスク上に設置してはおらず、リビングのカーペットに座って使うように置かれていたことだ。ノートパソコンだから、こまめに食卓などに持って行って腰かけてブログを更新すれば良いのだが、つい、元の場所ですぐ文章を打ち出すのだった。何時間も書くこともあった。同じ姿勢を続けていると疲れるので、横座り、あぐら、正座と、色々な座り方をしていた。

そんな、椅子に腰かけることが少なく床に座ってばかりの生活は、腰を傷める原因になったというよりは、きっかけにすぎなかったかもしれない。

7月末のある日、いつも通りに床に座ろうとすると、「ぐぎっ」と痛みが走った。病院でレントゲンを撮ってみると、腰椎のうち、下から2つの椎間板は、加齢により、もうすり減ってしまっているので、骨と骨が直接当たるので痛むのだと判明した。治療法は、軽い体操と、病院での牽引(体を機械で引っ張って骨と骨の間を伸ばす)だった。
横になっていれば楽なのだが、起きている限りは重力がかかるので痛んだ。だから、またパソコンのできない日々に戻ってしまった。起きている時、じっとしていると辛く、動いていると楽なこともあり、初めの内はせっせと牽引に通った。

しかし私は、スマホという悪魔の道具を手に入れることにしてしまった。9月に購入した。それからは、一日中、寝たままスマホ(主にツイッター)にどっぷりハマり、起き上がることは少なくなってしまった。
こうして2017年は過ぎていった。12か月の内7か月は、ほぼ横になっている毎日だった。
以前は寝たきりというと鬱のせいでなっていたが、2017年は、肉体的な理由で、起き上がれずに過ごした。整形外科的な理由で。

この冬は、ものすごく鬱が重かったが、現在(2018年2月)、読書ができそうな程度には回復しており、早く腰が良くなって座れるようになって読書したいなあ。
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前の前の投稿によれば、2015年に6キロほど体重が増え、2016年の年明けに66キロだったとある。
その年、その後更に1~2キロ増えたようだ。
2016年の11月7日のツイートに、
「4か月もダイエットしてるのに、何故1キロも減らないんだろう。67.5キロと68.5キロの間を行ったりきたり。」
とある。

しかしその直後から、何と、別に頑張りもせず、あっさりとダイエットがうまくいっている。
あんなに頑固だった体重が、するする下がってきているのだ。
約2か月で約4キロ減らすことができたもよう。その時は「ダイエットが成功している」という感じだったが、のちには飽きて、ダイエットしているという意識はなくなり、体重の減りも少なくはなったが、知らず知らずの内に漸減。3か月で1.5kg位の減少のようだ。

以前は食事に気をつけていても全然体重が減らなかったのに、今は、お菓子を好きなだけバクバク食べて、平衡もしくは微減なのは驚くべきことだ。

1/12      64.2kg
1/13      64.0
1/17      63.5
1/18      63.9
1/22      63.9
1/28      63.7
2/08      63.9
2/10      63.9
2/14      63.2
2/24      62.5
3/09      62.7
3/11      63.1
3/20      62.7
3/24      63.0
4/10      62.6(当初つまり約67.5kgから、5kg減! ✨✨)

当初は60キロを目標としていたので、あと2~3キロということになるが、上手くいって欲が出てきて、58キロになれればいいなと思っている。あと4~5キロか。よし!




【主訴】2005年(9年前)の春に重い鬱になり、その時からAクリニックに定期的に通院するようになり、以来今日まで9年間、寝たきりの激しい鬱だったり、軽い鬱だったりなど、テンションが急速に乱高下するようになり、正常気分の時はほとんどなく、発病前のような普通の生活が全く成り立たない。
※Aクリニックというのは、実際の書類では実名を記載

発病前:毎日入浴する普通の人・毎日料理し毎食後に皿を洗う普通の主婦・
               きれい好きで掃除は週2回
発病後の9年間:あまり入浴できない(半月空くことも多い)・料理は滅多にしない・
               台所には洗ってない食器がいつも山積み・掃除は何年もできない

このビフォーアフターは、もっと簡潔にわかりやすく手書きで図示するつもり。

【鬱の症状】
●頭が働かない(何者かに乗っ取られたような感じ)
●体も固まってフリーズ、ボーッと座り込んだままで何事も手につかない、又は寝たきり。
●緊張感が強く、焦燥感があり、押さえつけられているような抑制感。
●抑うつ感(胸の奥深くに、重く黒い物が詰まっている感じ)
  ひどい時は胸が押しつぶされそう。
●食べ物の味が希薄、食べるのが面倒。
●悪霊に憑かれているような、又、見えない敵と闘っているような感じ。

(ここに、一親等以内の異常者が入る系図を図示?)

【経過】(発病の前段階も含む)

※テキストのみの文章は読みにくいので、実際には読み易い形式で記す予定

2003(H15)年---待望の第2子を出産したので、気分がハイになり、従来の自分のイメージを覆すほど活動的でエネルギッシュに過ごし、疲れるということがなかった。言わば人生の絶頂。

2004(H16)年---頭の中で一度にたくさんの考えが沸いて、次から次に気を取られるようになり、記憶の混乱、イライラ、焦燥感などで、家事育児などの日常生活に突然支障を来たすようになったので、Aクリニックを受診するも、別段投薬は無いのと多忙の為、定期的に通院はせず。入眠困難があり、時たま眠剤を貰いに行く程度。
家を買う計画を立てるなど、色々なことを始めてしまう。

2005(H17)年

春から行動しづらくなり、頭が働かなくなり異常に気付き、憂鬱や不安感、空が叫んでいるような感覚を覚えたので、
5/10 Aクリニックに定期的通院開始、5/20 ルボックス50mg処方

5/22 突然体がフリーズする。子供の発熱に救急車を呼ぶなどの異常行動。
5/23ルボックス100mgに増量、ワイパックス0.5mg×3回を追加、→寝たきりとなる。

6/3  アモキサン25mgが追加→翌日には普通に起き出して、自然に家事など体が動いているという劇的効果。少しずつ本調子を取り戻していく。(ワイパックスは終了)

8/下 すっかり治った感じ。
        急にすごく活動的になる(神社に行って親や親類など大勢の分の御守りをもらうなど)
        今迄の人生で味わったことのない多幸感。宇宙の神様と一体化している感じ。 
 室内の模様替えをするが、カーッとのぼせてしまうので能率的ではないが、満足いく仕上がり ♪

8/31 鬱は治りました、薬を減らして下さい。アモキサンを飲むとカーッとのぼせるので、アモキサンを減らして下さい、と言うも、聞き入れられず、両薬とも依然同量で継続。

9月~ それまでに経験したことのない、急激なスパンでの気分の乱高下が現れる。家族で行楽に出かけるなど常人のような行動をしたかと思えば、翌日には寝込んでトイレがやっとというような。突然襲来してくる鬱の波の合間に、2歳児を連れて都内へ出かけ1~2駅は歩かせて、「鬱が治る電球」を探し回るなどし、出費もかさむ。

2006(H18)年度----鬱が酷く、ルボックス(最大150mg)とアモキサン(最大125mg)増量されるが、効果なく(というより増やせば増やすほど効かなくなり)、緊張感・焦燥感がひどい。

2007(H19)年度----更にデジレルが加わり、抗鬱剤3剤となる。最もテンションの上下が激しい年となった。
20083月には死にたくなるほど。

2008(H20)年度(不明熱・胃出血・腸炎になった年)

4月 ルボックスとアモキサンは中止となる(デジレルは継続)
5月 デパケンR200mgが加わる。以降デパケンとデジレルでの治療となる。

初め(デジレル150mg時)、デパケンの効果をあまり感じなかったが、7月にデジレルが75mgに減になって以降は、ハッキリと効果を感じた。希死念慮がすっかり治る。
デパケンを飲むようになって、性格が昔の自分(発病前後問わず)とは変わって、思いつめない気楽な性格に変わったように感じ、デパケンが合っているのだと感じる。以来しばらくは、気分の波の上下幅が小さくなった感じ。

2009(H21)年度(突発性難聴になった年)----2010(H22)年 

デパケン300mg(血中濃度22)、デジレル75mg。3月と9月に鬱が重くなることが多い。
2010の秋、自分は、治る「うつ病」ではなく、何か他の、一生薬を飲まなければならない病気だと思うようになり、障害者手帳取得に向けて動く。

2011(H23)年----2012(H24)年

9月、激しい鬱でデジレルが125mgとなる。→すぐ治り普段の軽鬱に戻る。

次の3-4月、約1か月間、スペシャルハイになる(デジレル125のままだったので)。
→デジレルを75mgに減量。
以降、デジレルは自由に減量するよう指示される。
※ハイの時、突発的にセカンドオピニオンを受け、双極性障害Ⅱ型との診断。

9月 鬱の為デパケン400mgに増(血中濃度48)、デジレルも一時的に増

2013(H25)4月~ 治療開始後8年経て初めて、ハイでも鬱でもないノーマルな日が現れる ♪♪
毎日の調子の記録を残すようになる。
デジレルは自分で漸減する。

11月 半年安定したのでデパケン300mgに減となる

2014(H26)2月~突然の興奮から鬱となる→デジレル125mgに増える→鬱の泥沼から抜け出せなくなる。デパケン増量を願い出るも断られる。
4月に入り、完全に寝込む。
4/末に、以前の約束を思い出してデジレルをやめてから、胸の苦しさは楽になったので、
現在、デジレルは飲んでいない。

現在飲んでる物---デパケン300mg、夕食時デパス0.75mg、寝る前ハルシオン頓服 金1~3錠
激鬱時頓服ドグマチール25~50mg、興奮時頓服ワイパックス0.5~1mg


長年、鬱さえ遠のいて感じるような離人症的な感覚(感情の鈍麻)が、鬱に伴ってよく表れたが、ここのとこ、そうでもない。鬱の時に喜びや楽しさのみ消えて、悲しさや苦しさはちゃんと感じるようになった。激鬱と共にそうなった。痛みを引き受けられるようになったのかもしれない。

「恋愛とは美しき誤解である」という言葉を聞いたことがある。
でもさ、本当は。
「人生とは美しき錯覚である」と思う。
錯覚していない間は鬱。
私は、ずっとずっと、錯覚し続けて、楽しい人生を送りたい。
それでこそ意義深い人生だ。

(つまり、「今が幸せならばそれでいい」という、やや虚無的な人生観。双極性的人生観かも。)

人生とは、水の上を歩いているようなものなのである。沈みやしないかと不安になった時には本当に沈んでしまい、溺れ死んでしまう。

調和を重んじすぎて、この世間に居られなくなったり はじき出されたりしたらどうしようと思う恐怖感が、私の根底にあるのだが、そのことから、私の性格が、責任感が強く恥を重んじるメランコリー親和性性格(日本人にありがちな、うつ病になりやすい性格)であることが容易にうかがえるのはもちろんのこと、それだけでなく、世界から自分がすべり落ちたらどうしようという統合失調的心性がさらに根底にあるのが私の独特な所だと思う。
私の場合は、そのような統合失調的心性が元々あったからこそ、この世にすがりつく為に、世間にとりすがろうとし、共感や和を重んじるようになったのだ。そして共感やコミュニケーションや和が、生きがいにまでなった。
双極性障害Ⅱ型は、共感性に優れた人がなりやすい傾向がある。うつ病は、責任や組織の和を重んじる努力家がなりやすい傾向がある。私は、うつ病と双極Ⅱ型の中間的な気分障害に罹患しているわけで、このような病気を発症してしまったことは大変に苦しいが、それも統合失調症になるのを避ける道筋の一つだったのだ。

2/3から2/18まで鬱期だった。(私の鬱期にしては、やや活動性が高かったが、それだけに不安定要素も大きかった。)
過渡期を経て、2/24頃から寛解期に入ったようだ。
寛解期の、鬱期と大きく違う特徴は、「生きてるのは決して嫌いじゃないな」と思えることだ。

「生きる意味はこれである」とハッキリ言える人もいる。天職やライフワークを持つ人などだ。
しかしそういう人は少数派。大部分の人は、生きる意味を言葉では説明できないだろう。私は、「生きる意味とは、生きる意味を見出す過程にある」と考える派であるが、見出した物が言葉で説明できるとは限らない。
私の思う「生きる意味」とは、「ああ今まさに生きているんだな」「生きるのは嫌いじゃないな」と感じられることだ。理屈ではない。

鬱期には、生きる意味が感じられない。生きていてもつまらないだけだし、こんな苦しい思いをしてまで生きる意味が、分からない。
でもそれは、病気がそうさせているだけだと思う。
私のようなタイプの気分障害は脳の病気である。
生きる意味は、五感で感じたり体で感じたりするものであり、それは、とりもなおさず脳で感じるという事だと思う。だから脳が正常でない間は、生きる意味が感じられないのは当然なのだ。

鬱というほどではなくても、何となくつまらなく感じる場合がある。
これは、「今まさに生きてる」っていう感じが希薄になっている時だから、脳の調子があまり良くないということである。
私たちはつい、次のように考えがちだ。世界には、戦乱に巻き込まれている人や食糧もままならない人がいる。平和で飽食な日本においても、安全が脅かされるような大変な目に遭っている人は沢山いる。そんな人々に比べて、自分は恵まれているではないか?それなのに生きててもイマイチつまらないというのは随分ぜいたくで我儘なのではないか?などと。
それは違う。ぜいたくでも我儘でもない。単に脳の変調であって、治療すれば治るのである。
治療して、一時的にせよ寛解が訪れた時、自分の置かれている環境に、改めて感謝の念を抱くのである。

私は上記のようなつまらなさを感じた時、鬱とはまた少し違う、なんともいえないイヤな気持ちを抱いたものだった。しかし今は対処法が分かる。
少しずつ、生きている感覚や味わいが感じられることを目標に、すぐにはならないかもしれないけど気長に治療すれば良いのである。
ハッキリと鬱になった時は、急いで調子をマトモにする為に、抗うつ剤が2錠位増えるのであるが、上記のような状況の時はそんなに増やさないとしても、明らかに脳の変調のサインだから、抗うつ剤を僅かに増やして気長に様子を見ると良いのだと分かってきた。
放っておくと鬱になりかねないのだと分かってきた。
完全に落ちた時と違って気晴らしも有効だと思うが、それを焦って行いすぎると、疲れてかえって鬱に突入しやすくなるので、ほどほどが肝心だ。
つまらない時は、それが治るのを信じて、とにかく気長に治療だ。

今は、つまらなくもないし、生きる意味が感じられるので、良かったなあと思う。

私は高校1年の後半に、双極性の素質から来るごく軽い鬱エピソードがあった。毎日普通に学校に行くのに支障ないほど軽症で、鬱気分も弱かったが、味覚の変化・肌荒れ・寒がりになる、気力低下といった、自分が思うに任せない変化をきたすというのは、今までに味わったことのない奇妙な感触であり、狂気へと近づいていくようで気味悪かった。
約7カ月で自然治癒し、その後、双極性のエピソードは30代になるまで全く現れなかった。

しかし、上記軽鬱エピソードの取り扱いが不適当だったので、人生に大きな影を落としてしまった。30代で本格的に双極性障害を発病したのも、高校時からの人生の歪みが鬱積した結果とも言える。

適切な取扱いとは、「病気だから仕方ない」「治る時には治るから大丈夫」と考えれば良かったのだ。しかし、親も気づかないほどの僅かな変化、誰が病気と想像できるだろうか。
もし気づいてくれるとしたら、思春期~青年期の生徒を見慣れている教師かもしれない。(当時は今のように学校カウンセラーとか居なかったから。)  或る授業で「思春期には人格的にも変化があって、自己が確立されます」と言っていたので、私はその先生に後で質問しに行った。「既に思春期が終わって(女子の高1ではすでに終わっているのだ)、自己が確立した後、急激に人格の変化を起こしたとしたら、どう対応すれば良いでしょうか?」と。しかし何も答えてはくれなかった。それはまだいい。
悪玉の教師もいた。常に生徒を支配し、崇められたい人だ。彼女が好む生徒は、いつもイキイキ真剣に全力投球かつヨイショ上手なタイプ。そうじやないと許さない。冗談言う子は許さないし、なるべく思いつめないように余裕をかましてる子とか、愚痴を言う子は許さなかった。そんな中にあって、沈思というのだろうか、ヨイショするよりは自分について思索しがち(若いんだから仕方ないよね)な私、やや無気力になったり気分の上下があったりする私のことは、存在することが害だとみなした。だから私は自分をいったん精神的に殺して良い人間に生まれ変わろうとしたけど、うまくいかず、不適応を起こした。

ただでさえああいう脳の変化(軽鬱エピソード)を経験して、治癒後も自信喪失気味だった私は、上記のようにして、「自分は人間として最低」と刷り込まれたのだ。それはイコール、常に気分が沈みぎみで、自信がなく、気力を出すのが大変な、「気分変調性障害(以下気分変調症)」の発症となった。それは軽度ながらも長く長く続く、鬱病の一種である。
この気分変調症は25年間以上治ることなく、発症前の人生よりも長くなってしまったから、もはや性格の一部であるかのように思われた。

30代で双極性障害らしきものを発症してからは、ベースになっている気分変調症の鬱に加えて、気分の上下が出てしまうものだから、ある時は気分変調症のみの鬱状態、別の時は、それプラス双極性の鬱状態のダブルで重い鬱となった。こうして、ある時は軽い鬱、ある時は中程度以上の鬱という波が何年も繰り返され、躁も鬱もないニュートラル(フラット)な日というのが全くなかった。

しかし幸いなことに、今年度(昨年4月から)、フラットな日というか寛解状態の日が自然に発生するようになった。
実は、あるアニメを見始めると同時にその変化は起こった。高校であの悲しい出来事に遭遇する前の自分の感覚を取り戻したのである。そのアニメは中学生の女の子が誇りを持って活躍するお話なので。
変な刷り込みをされる前の自分を思い出したので、「自分はダメな人間」という思い込みから脱することができたのだ。すると少しずつ、鬱でないフラットな日が出始めたのだ。

で、今日急にひらめいたのだが、フラットな日(寛解期)が出てきたっていうことは、ベースになっている、気分変調症の鬱が消えたということだ。すなわち気分変調症が治ったと言うことだ、と気づいた。(10カ月も経ってやっと気づいた。)
自信喪失、自己卑下のせいでなった気分変調症が、27年後にして、治癒したのである。
良かった!!

まあ、あいかわらず、双極性障害は続いているので、寛解期と鬱期の繰り返し、しかも今は鬱期でつらいけど。
何はともあれ良かったと思う。


昨日の記事にあるような思考散漫・注意欠陥は、一昨日から始まって今日も続いているのだが、それは10日ほど前から、エストロゲンの錠剤を飲んでないせいだと気づいた。

気づかせてもらった経緯は、ある所に上記症状を相談した所、「エストロゲン不足でそういう症状が出ることがある」と教えてもらったのだ。

その話は次のこととも合致する:35歳(産後1年)の時、注意や記憶が散漫になって、リタリンでも貰おうと(当時はリタリンの副作用や危険性や依存性を知らなかったのです)、初めて精神科に行った時に言われたのが、「母乳を出す為に生理を止めるドグマチールを飲んでた間は良かっただろうが、それをやめて、かといってまだ通常の女性ホルモンがあまり出ない状態が原因なのではないか」ということだ。

エストロゲンは、医師の処方なしで飲む(又は使用する)ことは禁忌なので、皆さんは、私のように個人輸入することのないよう、お願いしたい。
しかも、私のように、プロゲステロンと併用せずに飲むのは禁忌とされている。私の場合は、エストロゲンとプロゲステロン両方が入っているピルとの併用をしている。私にとってはピルのエストロゲンが足りないからだ。

ピルは月に7日の休薬日があり、その日はエストロゲンも、飲むわけにいかないし、話せば長い理由により、その7日間だけでなくその前後も、飲まないことにしている。
なので、ここ10日ぐらいエストロゲンを飲んでいないのであり、道理で、ぼんやりするわけである。


昨日はヤル気が出なくて、判定は-0.5としたのと比べ、今日は少しマシだが、あいかわらず頭は回らない。
午前10時に爪を切り始めて、切り終わったのが午後3時半になるほど、気が散りやすい。途中、ネットなどしていたのだ。
その後、コンディショナー(以下リンスと記す)の詰め替え用をポンプボトルに移し替えたのだが、詰替用の袋の口をオープンする時、ボーッとしていて、まずは手で切れる切り口に手をかけて、気づいたら、パックリと口が開くまで横一文字に全面的に開けてしまっていた。だから詰め替えるのに苦労した。
それから、他銘柄のリンスとブレンドする為、他銘柄のリンスを入れた。
で、シャンプーして、いよいよリンスしたら、なんだかリンスが泡立つ。
そう、他銘柄のほうは、シャンプーを入れてしまっていたのだった。

私は幸い、病的に憂鬱な気分になることがあまりなく、便宜上「鬱」と呼んでいる精神症状は、実際の所、「頭が回らない」「そのせいで物事が手につかない」という状態なのである。


1/30
●気分が悪い。胸がギューッとなる感じ。さっき天気が荒れてびゅうびゅう言ってた。静かになった。まだ雨は降り出さない。緊張が高まるようなイヤな感じ。
優しいお湿りが来たら少し気分が治るのだろうか。ほっと解ける感じに。
●なんかこう、縛られてる感じなのよ。身動きとれないように。歯医者の予約を入れるべく電話しなきゃと思うんだけど、体が動かない。
●ブルーライトカット用(パソコン用)のメガネかけたらちょっと楽になった。JINSのやつ。このメガネでずいぶん助けられてる。もっと高価なやつも持ってて、そっちは屋外用。曇りの日のブルーライトは強烈だから。室内ではJINSのパソコン用がイイ感じ。

2/2
●今朝はゆっくり9時まで寝た。起きてみると…うわっ曇りのブルーライト強烈…!
ブルーライト大嫌い。ブルーライトがきつくない晴れか雨がいいよお…。今からコンタクト入れて(つまり眼鏡外して)ブルーライトカット眼鏡をかけようっと。急がなきゃ。
●副作用が出なくて私にピッタリ合っていた眠剤のハルシオンをやめてもう1年になることに気づいた。お気に入りの薬で、6年間ぐらい毎日飲んでいたが、断薬できた。毎日気持ち良くバッチリ眠れる。睡眠である程度ストレス解消できる私は幸せかもしれない。

2/3
●一度、今日はダメだ(だるいとか、ヤル気出ないとか、頭回らないとか)と思ってしまうと、暗示にかかってその日は浮上できないというのが私の欠点だと気づいた。ちなみに今日はだるいパターン。今、朝よりも脚のこわばりが退いたので、上手に気分を切り替えて前向きになる方法はないかなあ。
●頑張ることは、時として自分をいじめることになる場合があるが、怠けることもまた、自分をいじめることなのかもしれない。怠けていると、追い込まれてしまうことがあるからだ。少し変えて、自分を甘やかしてあげたり、癒してあげたりが上手にできるようになると良いのだろう。
●中途半端に逃げていると苦しくなる。上手な逃げ方を覚えなければ。
●16時過ぎから何故か、良くなった。体が痛いのも、頭が(鬱っぽく)ぼんやりしてたのも。鬱の日内変動でちょうどよくなる頃だったのか、或は10分間の座禅が効いたのかも。
●要するに、鬱っぽい時は、とにもかくにも座禅をすることにした。それも無理なレベルなら勿論横になるけど。
●脚が痛いのが治ったので、日が落ちる前に急遽、5分間プチウォーキングしてきた。それから、午前中にさぼった、歯磨きと体操と洗濯をした。明日は天気が悪いようなので、家の中の溜まった用事しようっと。


日照の悪い暗い天気の日は、気分が冴えない日・ヤル気が出ない日、と今迄思っていたが、そうじゃなくて、自分から進んでのんびりまったりする日、と決めることにした。
方向性全然変わってないじゃん、と思われるかもしれないが、考え方としては大きく違う。
頑張らない&ポジティブ志向である。
昼寝も自由にしてよいし、音楽やアロマなど積極的にリラックスして過ごすことにする。入浴でのリラックスも奨励。
頑張らないけど、心のお手入れを頑張る日、かもしれない。
晴れた日は命の洗濯のように感じるけど、むしろ暗い天気の日に命の洗濯すればいい。

ただ注意すべき点は、日照不足の所へもってきて更に昼寝で光の浴び方が減るから、その点は、色電球光線療法器で光を見て補うことを忘れずに。この手作り療法器は、光源はアンバー色だが、治療光の色は明るく温かい山吹色の色調で、リラックスかつ明るくリフレッシュできる。これをきちんとしておかないと、セロトニンが不足するので、夜、メラトニンが不足して寝付けなくなる。

黒草黒美という名前でツイッターを始めた。イヤな気分を吐き出したり、精神医学的なことを考察したりするためのアカウントだ。ツイートをここにまとめてみた。(2014.3.6編集)

2013.10.19(曇り)

(幽霊とか)見える人っているっていうけど、私は非科学的な物事は信じないから無縁の話だと思っていた。でも実は私も「見える側」の人なのではないか。みんなには見えない怖い何かが。

子供の頃(3~9歳頃)の悪夢はハンパじゃなかった。

子供の時は、テレビと電話が怖かった。

今はインターネットだっていうけど、昔は、統合失調症(当時の精神分裂病)の患者は、「テレビから電波が出てきてそれで操られるから怖い」というのが定番の症状だったという。

私の奥底に統合失調症的な何かがあって、それでテレビが怖かったのかなって。
スキゾタイパル人格障害に近い何かが根底にあるのかな。それが「怖い物が見えてしまう」ってこと。

ニーチェいわく、凡人と狂人の違いは、凡人はたくさんの狂気を持っているが、狂人は1つの狂気しか持っていないという。私の場合は、地元市立小中学校→市内公立高校→大学→会社員→専業主婦という、凡人を絵に描いたような存在。

三大精神病とは、統合失調症、躁鬱病、鬱病のことだが、私の場合はそれらの病気に親和性のある気質や性格を、3つ全て持っている。これほどしんどくてパーフェクトな凡人も珍しいのではないか。

3つの狂気が私の中でせめぎ合っているのだから。

子供の時の悪夢というのは、それこそ宇宙が破壊してしまうような凄まじいレベルだった。

でも子供の頃は、まだ3つの狂気が出そろっていないので、せめぎ合っている感じは無かった。

もしそのまま成長していたら統合失調症になっていたと考えると恐ろしい。幸い、私を
現実につなぎとめるものがあった。それが残りの2つの狂気なわけだが。


10/20(雨)

この記事によれば、高校生の頃に体の調子が悪かった人ほど後に鬱病になりやすいということなので、かなりショックである。私の場合小5から中3まで皆勤だったのに高校時代から打って変わって現在の虚弱体質になったので。http://bizex.goo.ne.jp/column/ip_1/137/110/

この記事をポジティブに解釈すれば、高校から体を壊したおかげで「鬱病になりやすい」という、別の狂気を手に入れたわけで、統合失調症のリスクが下がったというわけだが

鬱病の欧米の有病率は15%で日本は7%との記事も。日本は日照が良いからというだけでなく、欧米の食事がセロトニンが不足しやすいからであろう。

一度産後鬱病にかかった人は、次回以降の出産でもかかりやすいとのことだが、私の場合は、1回目が普通のマタニティブルー(産後鬱)、2回目が、産後マタニティハイから躁鬱病へ\(^o^)/

冬生まれの人は、鬱病や統合失調症にかかりやすいとまで。
生まれた瞬間からそんなものを背負っている私って。

晴れの日と雨の日は健康的で、曇りの日は病的な精神。それが私。

曇りの日は空がキーッとなってるじゃん?

曇りの日はよほど気をつけなきゃいけないのだ。家にいる間は次のようなCDを常に流しておく。エンヤのアマランタイン、モリコーネの映画音楽集、アニメ「ARIA」のサウンドトラック全3巻、あともしかするとセヴラックのピアノ曲。簡単なピアノ曲を自分で弾くのもいい。ヘタでもナマの音はイイ。

曇りの日にかけるCD、高原で収録したという鳥の声の録音があるから、それもいいかも。

曇りの日は、部屋に芳香器でアロマ。曇りは食欲低下するから、食欲のでるオレンジやマンダリンをブレンド。あと、昼間からまったり入浴。障害者向けの大浴場に行くのもいいかも。

今日は雨だったから、雨音に癒された。曇りの日は、こうはいかない。

土・日と、日差しの少ない日が2日続いたから、日曜の夜は、布団に入ってから1時間以上も寝付けなかった。次回はこんな事のないよう、日差しの少ない日は光線療法器で光線療法をしよう。ガッツリと。折角光線療法器(鬱にも効くやつ)を作ったのだから。あと雨の日は運動量不足となるから踏台昇降も。


10/21

深い眠りのノンレム睡眠が良いなどというが、私の脳はむしろ長めのレム睡眠を必要としているらしいと、今年気づいた。

私はいわゆるロングスリーパーというのか、8~9時間の長い睡眠を必要とする理由は、虚弱体質だからかと以前は思っていたが、よく考えると、体が丈夫だった時期にも長い眠りを必要としていたので、体の都合によるものではないと分かる。ノンレム睡眠がたくさん必要な脳の都合なのだ。


8/3~8/25 正常(23日間。新記録。)
8/25~26   風邪で鬱気味      8/27~9/1 正常(6日間)
9/2~10/4 鬱期(33日間。ちょっと長かった。つらかった。)
その後      風邪でずっと不調(治りそうになっても、またすぐ引く)

ブログにアップする記事の中で、家族の名が呼ばれるシーンが出てくる場合に備えて、家族全員に名前をつけてみた。

夫      鈴原 卓人(タクト)
娘              かのん
息子           蓮人(レント)

私の名前に「音」がつくことから、家族全員、音楽関係の名前にしてみた。

タクトはもちろん指揮という意味で、それは家長にふさわしい名前だと思う。

かのんは漢字を当てるのが面倒なのと、カナのほうが可愛い気がして、ひらがなに。

レントは音楽用語で遅いテンポのこと。あいつノロマやからなあ(何故関西弁?)。顔はまだあどけなさが残っていて仏像にそっくりの癒し系イケメンである。それで、仏と関係の深い蓮(ハス)の字を使った。

以上、暇つぶしでした。

8月になったので、陽の光が柔らかく穏やかになってきた。夏至前後である6-7月は光線が強烈で眩しすぎたが、今やその時期は終わり、普段の太陽になってきているのを感じる。
確か5月に、「朝の光は優しい」と書いたが、6-7月は、朝も優しい感じではなかった。ここにきて、またあの朝の優しい光が戻ってきた。日中の光はまだだいぶ強いのは言うまでもない。しかし全体として、あの強烈な太陽は去って、単に明るい太陽へと変わってきている。

季節のこのような変化に対応して、頭も切り替えねばならない。

鬱の、治癒にも予防にも大切なのは、脳でセロトニンを合成することだ。
網膜に可視光線が映ると、それがスイッチのような役割を果たし、脳の中でセロトニンは作られる。光線は、人工の物でも有効な場合もあるが、やはり基本は太陽光だ。
鬱防止には、太陽光はなくてはならない大切な存在。

なので、1年のうち3分の2ほどの季節においては、太陽光線は見れば見るほど良いと考え、お日様を浴びることにしている。
もちろん、セロトニンを作るにはスイッチが入るだけではだめで、脳内にセロトニンの原料となる栄養素が用意されている必要があるので、その中心であるトリプトファンをはじめとしたサプリメントは1年中欠かさず摂っている。
それから、陽光で注意すべきなのは日焼けだけでなく眼の保護も大切で、室内外を問わず明るい所では紫外線を99%は確実にカットするよう、コンタクトや眼鏡を工夫している(たぶん存在するほぼ全ての眼鏡にUVカット機能があるが、コンタクトには無いものも多いのでご注意)。その上、紫外線だけでなく、ブルーライト(今言っているのはもちろん太陽光に含まれるブルーライトのことである)も苦手なので、必要に応じて、それをカットする眼鏡をかけることも多い。
そのような、必要な防御さえしていれば、「鬱が良くなるためには、太陽光を見れば見るほど良い」というスタンスをとっている季節が長いのである。

そんな大切な太陽光線なのだが、季節によっては眩しすぎてしまう。たぶん、セロトニンを作るにはもっと弱い光で充分だ、と感じる。
なのでそんな時は、光を制御する。少し眩しい時には薄いボイルのカーテンを1枚プラスして。もっと眩しい時には厚手のレースカーテンを、さらにプラスして。
屋外ではサングラス。
6-7月には、そうやって眩しさを避けることばかり考えていたが、いまや季節は移った。
だから頭を切り替えて、再び、陽光をたくさん目に入れる方向で生活しはじめている。
多くの季節と同じように、朝イチから午前中は、窓際で過ごすようにしているのだ(窓は閉めてエアコンをかけている)。
それが私のセロトニン作り。

7/26は掲示板を見るなどネットをしたが、翌日からはそれも飽きてしまってやらなかった。
気分の落ち込みは、軽度ながらも確実という感じ。子供の通院や習い事の送り迎えなどを普通にできたものの、ロボットのように感情がなくなっていて、生きているという感じがしない。
土日は夕方から家族4人全員が揃い、トランプなどで遊ぶことができた。鬱が軽度の時は、こういうことができるのでうれしい。気が紛れて楽になる。
27-29の3日間、食器洗いも洗濯もできず、溜めてしまった。
29(月)-30(火)はだいぶ気分がマシで、食器洗いと洗濯をしたが、31(水)から再び下がり、あまり家事ができず。8/2(金)まで鬱。
7/26~8/2の8日間の内、7/29だけしかお風呂に入れなかった(正確に言うと、その日はシャワーを浴びただけ。他の日は、夏場だというのにシャワーも浴びずじまい)。

それが何故か8/3(土)に治り、現在まで12日間ほぼ正常が続いている。不思議なものだ。当たり前だが食器は毎日洗っている。食器洗いぐらい面倒でも何でもないのに、鬱の日はできないというのは不思議なものだ。

今回の鬱の原因は、主にお天気が悪く日照不足だったからだろう。春~夏は、曇りの日もそうとう光線が強いように感じるが、雨だとさすがに暗いように思う。
7/24-8/2の10日間で、晴れは2~3日しかなかった。7/30・31、8/2は曇り。
7/24・25・26、29、8/1が雨だった。渇水の観点からは降るのは良いとは思うが。
8/3からは今日まで毎日晴れている。

ニュートラルな日(躁でも鬱でもない、判定ゼロの日)が17日も続いたのは快挙だ。その間、普通の主婦と同じような生活を続けることができた。

しかし、今日ついに落ちた。
今は、縦の物を横にもしたくないという、私にはありがちな状態。
要するに、症状がしんどすぎて、生きているのが辛いってことだ。
寝込むほどではない。
しかしグダグダな感じでほとんど動けない。

朝起きた時、全てがつまらなくなっていた。
今や、全てを投げ出したくなった。
心の中で、「いやだいやだいやだいやだ」と駄々を捏ねている、いつものパターン。

辛さを紛らわすためにネットで色々見たりすることも多いが、大好きな2ちゃんねるの調子があまり良くないようでつまらない。(わざわざ2ちゃんを見るために2000円払ったのだが。)
発言小町かOKWaveでも見ようかな。
或いはテレビ・・・録画してある「ためしてガッテン」でも見ようか。
洗濯物が山積みなのにね。それに今日だけでイキナリ床のあちこちに物が広がって散らかってしまった。これは全部私が1人で散らかした。鬱の時はいつもそうだ。

寝込んでるならともかく、テレビ見たりネットしたりする元気があるのに家事をさぼる私って・・・。
弁解しておくと、私は主婦業が嫌いではない。又、今みたいに、夏休みで子供が家にいるのも嫌いではない(幼少期と違って、子供が家事の邪魔をするわけではなく、子供がいてもちゃんと家事は はかどるので問題ない)。
普段は出来るのに、何故突然、すべきこと全てがやりたくなくなるのかは、本当に不思議だ。

しばらくパソコンをしたら、気分転換ができて、何とか動くことができた。
一時は、今日の判定は-2にしようかと思ったが、トータルで見て、-1にすることにした。

私にしてはちょっと長めの鬱から生還した。
軽かったけど、6/4から3週間も続いたのできつかった。

何が効いたのかは分からない。
●毎朝20mg飲んでいるビタミンB6を、昨日から40mg飲んでいる。
私の主剤であるデパケンが効くメカニズムは、ギャバを増やすことにより癲癇発作を予防する(私は癲癇ではないが、双極性障害への効果の場合もギャバは関係しているかもしれない)ことなのだが、昨日知ったことには、ビタミンB6が欠乏するとギャバが不足して癲癇発作が起きるというので、本来400mg以上デパケンを飲むべきかもしれないのに副作用(舌がもつれる)が嫌いで350mgしか飲んでいない私はギャバを増やす為にもっとB6を飲んだ方が良いかもと思って増やした。
B6を飲んでいる元々の目的は、5-HTPと一緒に摂ってセロトニンを作ることなのだが、ギャバ関係の役割もあると知って増やしてみたわけだ。
ちなみに、ギャバのサプリとか、ギャバ入りチョコレートなどあるが、ギャバは脳内へははいれないという説が有力(もし入れるのなら、デパケンではなくギャバが処方されているであろう)なので、脳内のギャバを増やすには、間接的な方法しかない。
●晩に飲むデパス(自分で調節して飲んで良い)を、2錠は必要ない気がしてしばらく1錠にしていたのを、昨晩は2錠飲んだ。リラックスして深く眠れたように今朝感じた。
デパスは、ドーパミンやギャバを増やすと聞いた。
●個人輸入(←大きな声では言えないことなので何の薬かは伏せておこう)の塗り薬を、昨日は一昨日の倍量使った。
この分量は、指定された用量の7割が、日本人の適量。私は、さらにその半分又は4分の1だけを使っている。おとといは4分の1にしたが昨日は半分使ったというわけだ。
●健康食品(厳密には第3類医薬品)
●下記(1つ前の記事)の通り、太ももをほぐしたのが効いたことは確か。「気」がうまく通るようになった、つまり頭の中で詰まっていた「気」が、頭皮から出入りするようになった感覚。
●ピル飲用者に必要な亜鉛のサプリメント(飲まないと「ピル鬱」になる感じがする)を普段は1錠飲んでいるが必要な日は2錠摂ることにした。必要な日とは、直感で亜鉛不足だと感じる時。(2錠にする日が多いのは危険だが。特に2日続けてはダメだろう。)
(ちなみに鬱に効くサプリメントは、他にDHAも飲んでいる。)

要点---デパス、B6、塗り薬、太もも叩きほぐし

ハンドマッサージャー「タタキバイブ」で太ももを久しぶりに叩きほぐした。
そしたら鬱が和らいで少し楽になった。
その上、「冷えのぼせ」も治った。すごい。

私は体力がなく、筋肉がなさすぎる人で、まるで骨と脂肪だけでできているような体つきなのだが、太ももだけは例外で、固い立派な筋肉がついている(オシャレの面では悩み所だけど)。これは子供の頃からで、ぷよぷよの虚弱肥満児なのに何故か太ももだけは脂肪が少なく筋肉が太いと気づいたのは10歳頃だった。特に歩いて鍛えたとかでもないのに不思議だ。
そのように筋肉が集まっている部位であれば、体の中のキーポイントであってもおかしくないから、これをほぐして血行を良くするのは大切なのだと思う。

これからも太ももマッサージ、続けていこう。
「タタキバイブ」偉大なり←ブログでこれ言うの、2度目だ。

6/6の日記の中で、思わせぶりな書き方をしてしまったが、6/4の出来事と言うのは、単に、スーパーで買い物中に気分が悪くなっただけだ。

5/末から、家とスーパーの間のある一帯で、塩素の臭いが激しく臭っており、6/6にスーパーに行く時も、それを思いっきり吸ってしまったと思われるが、その時はあまり意識しなかった。
スーパーに着いて、買おうと思っていた、1.8リットル紙パックの白ワイン(飲むのはもちろん夫)が無く、あまつさえ、紙パックワインはどれも赤ワインばかりなので、いつもの品ぞろえは一体どこに行ったんだと、驚いてクラクラして、頭からスーッと血の気が引く心地がした。それでも普通に買い物を続けていたのだが、頭から香水をぶっかけたようなオバサンに遭遇・・・なんて非常識なオバサンだと思った。しかし、店内のあちこちに、いるわいるわ、色々な香水オバサンが。ことここに至って、異常なのは彼女らの方ではなく、自分の鼻のほうだと気づいたのだった。
そうこうするうち、光線が異常に眩しく、気分が悪くなって立っていられなくなって、店内ベンチで休憩。立てるように回復したところで、サッとレジを済ませ、足早に帰宅したが、その途中での塩素臭はもちろんすごかった。そして家に帰ると、すぐ横になったが、いつもは感じないような、布団に付着した、あんな匂いやこんな臭いがたくさん感じられた。
この日は、あのスーパーに行くまでは元気に動き回っていたのに、気分が悪くなってからは寝込んでしまった。そして、もしこのまま化学物質過敏症になってしまったらどうしようと不安だった。

すっかり回復したのは、数日間、塩素の所を通らないようにし、なおかつ、家までうっすら塩素臭が漂ってきていたのが、雨が降って家には臭ってこないようになってからだった。

おととい6/4(火)の日記はまだ完成していないのでまだupできないが、
あんなことになってしまったのは、ちょっと衝撃的だった。
今日もまだ元気が出ない。普通に朝から起きてはいるが。
鬱なのに朝イチから美容院に電話できたのは、快挙だろう。丸2カ月行ってないので、白髪が目立ちまくりなのだ。早速今日の夕方の予約が取れた。僥倖だ。

そうだ、チロシンを飲んでみよう。ここ数日間やめていたのだった。
あれを飲めば少し良くなるかもしれない。

それと、今日の月齢が27なので、あと3日位経てば、新月から ふくらみ始めて元気が出ていくかもしれない(非科学的かな?)

今日明日ぐらいは、普段の5分の1位でいいから少しは家事をボチボチやろう。今日は洗い物ぐらいでいいや。残った時間は通販カタログを見る。明日は洗濯ということにしよう。

(続きは夜upします) ←取りやめ

昨夜は、デジレルを前の日より1錠減らしたので、案の定今朝4時に途中覚醒してしまった。それでハルシオン0.0625mgを飲んで寝たら、7:00の目覚ましが聞こえず眠っていたが、幸い7:10の目覚ましは聞こえて起きることがではた。寝起きは悪くなかった。
こういうことがないよう、デジレルを減らした日は、長く眠れる工夫をしたいものだが、うまい方法を思いつかない。(夜に「のぼせ」がある時は夕食後にアモバンごく少量を安定剤代わりに飲んだりして良い具合の時があるが、当然ながら睡眠延長には役立たない。)就寝直前にハルシオンを飲もうと思った場合、それに代えて、手持ち(昔の残り)の物ではもう少し効き目の長いレンドルミンをこの前飲んでみた(といっても0.0625mgつまり4分の1錠)のだが、効き目が弱いことで評判のこの薬がなぜか私には効き目が強烈で、ストンと落ちたのが怖くて、その割に長く眠れるわけでもなく(少量すぎるので当たり前だ)、意味がなかった。
というわけで次回の診察の時、ハルシオンより効果の長い眠剤をリクエストしてみようと思っている。それまでは市販薬の「ウット」を使ってみよう。
1錠当たりの成分  ブロムワレリル尿素83mg  
                          アリルイソプロピルアセチル尿素50mg
                          塩酸ジフェンヒドラミン8mg
これを毎食後に飲むって書いてあるwwいったいどんな人が?躁状態に効いたりして。
私の場合は布団に入ってから飲むつもりだが。

今日も5-HTP 2つ。
  7:40-8:25 家事
  8:35-8:55 体操、ベランダで外気浴(食欲出てほしくて)
  8:55-9:12 朝食(ごはんに寿司酢をかけ、塩昆布を混ぜて食べる)
 9:12-10:35 顔剃り(おとといの外出の際にお化粧しようとよくよく顔を見ると、顔中に産毛がごっそり生えていることに気づいたので。デパケン飲んでるせいか?  剃った後、化粧水をつけた時、手に感じた顔の手触りが、あまりにツルツルなのに驚いた。剃ったことで、まるで獣の顔から人間の顔になったといってもいいほどだ。あやうく、メンヘルで人間やめますかになるとこだった。
尚、時間がかかったのは、念入りに眉毛も整えたから。)
10:35-10:50 私用(本来朝やるべきだったルーチン)(歯磨き含む)
10:50-11:35 家事(カーテン不具合直し含む)
11:35-12:20 私用(調べ物と、この日記を書く)
12:30-13:10 昼食(パンの上にベーコンとスライスチーズを乗せてチン。
                                 おかずは、アボガドとシーチキンを混ぜて味付けした物)
                      及び休憩
13:10-14:25 自由(パソコン)
14:25-15:10 家事(郵便局とクリーニング屋含む)
ハルシオン(金つまり弱い方)を1錠飲んで21:50から寝逃げ。
ハルは明日残ってしまうかもしれないけど、それでもいい。


昨日は11時半頃からお化粧など出かける準備を始め、帰ってきたのは18時半頃だった。
約6時間も外出していたし、その間、人と会って普通におしゃべりしたり笑ったりしていたので、まるで普通の人になったような気分になって、嬉しいようなとまどうような気持ちがした。

というわけで昨日はほとんど家事をしていないので、今日しっかりやろう。なるべくハッスルしないで、着実にこなそう。

5-HTP 2つ。
9:15-13:05 家事(途中腹ごしらえ有←家事の手を止めぬまま)
13:05-13:45 入浴
13:45-14:10 家事
14:10-14:30 昼食
14:30-16:10 ついついネットを見てしまう
16:10-18:10 家事
18:10-18:43 子供の相手
18:43-20:00 家事
20:00-20:23 夕食
20:23-20:50 家事。以下略。
よくできた。デジレル 2つ。