忍者ブログ
爽やかだったり、鬱だったり。ええ、そううつってやつです。 苦節9年、2014年にやっと、正式に双極性障害の診断が下りました。 鬱とフラットをラピッドに繰り返して、滅多に「爽」や「軽躁」になりません。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


私は高校1年の後半に、双極性の素質から来るごく軽い鬱エピソードがあった。毎日普通に学校に行くのに支障ないほど軽症で、鬱気分も弱かったが、味覚の変化・肌荒れ・寒がりになる、気力低下といった、自分が思うに任せない変化をきたすというのは、今までに味わったことのない奇妙な感触であり、狂気へと近づいていくようで気味悪かった。
約7カ月で自然治癒し、その後、双極性のエピソードは30代になるまで全く現れなかった。

しかし、上記軽鬱エピソードの取り扱いが不適当だったので、人生に大きな影を落としてしまった。30代で本格的に双極性障害を発病したのも、高校時からの人生の歪みが鬱積した結果とも言える。

適切な取扱いとは、「病気だから仕方ない」「治る時には治るから大丈夫」と考えれば良かったのだ。しかし、親も気づかないほどの僅かな変化、誰が病気と想像できるだろうか。
もし気づいてくれるとしたら、思春期~青年期の生徒を見慣れている教師かもしれない。(当時は今のように学校カウンセラーとか居なかったから。)  或る授業で「思春期には人格的にも変化があって、自己が確立されます」と言っていたので、私はその先生に後で質問しに行った。「既に思春期が終わって(女子の高1ではすでに終わっているのだ)、自己が確立した後、急激に人格の変化を起こしたとしたら、どう対応すれば良いでしょうか?」と。しかし何も答えてはくれなかった。それはまだいい。
悪玉の教師もいた。常に生徒を支配し、崇められたい人だ。彼女が好む生徒は、いつもイキイキ真剣に全力投球かつヨイショ上手なタイプ。そうじやないと許さない。冗談言う子は許さないし、なるべく思いつめないように余裕をかましてる子とか、愚痴を言う子は許さなかった。そんな中にあって、沈思というのだろうか、ヨイショするよりは自分について思索しがち(若いんだから仕方ないよね)な私、やや無気力になったり気分の上下があったりする私のことは、存在することが害だとみなした。だから私は自分をいったん精神的に殺して良い人間に生まれ変わろうとしたけど、うまくいかず、不適応を起こした。

ただでさえああいう脳の変化(軽鬱エピソード)を経験して、治癒後も自信喪失気味だった私は、上記のようにして、「自分は人間として最低」と刷り込まれたのだ。それはイコール、常に気分が沈みぎみで、自信がなく、気力を出すのが大変な、「気分変調性障害(以下気分変調症)」の発症となった。それは軽度ながらも長く長く続く、鬱病の一種である。
この気分変調症は25年間以上治ることなく、発症前の人生よりも長くなってしまったから、もはや性格の一部であるかのように思われた。

30代で双極性障害らしきものを発症してからは、ベースになっている気分変調症の鬱に加えて、気分の上下が出てしまうものだから、ある時は気分変調症のみの鬱状態、別の時は、それプラス双極性の鬱状態のダブルで重い鬱となった。こうして、ある時は軽い鬱、ある時は中程度以上の鬱という波が何年も繰り返され、躁も鬱もないニュートラル(フラット)な日というのが全くなかった。

しかし幸いなことに、今年度(昨年4月から)、フラットな日というか寛解状態の日が自然に発生するようになった。
実は、あるアニメを見始めると同時にその変化は起こった。高校であの悲しい出来事に遭遇する前の自分の感覚を取り戻したのである。そのアニメは中学生の女の子が誇りを持って活躍するお話なので。
変な刷り込みをされる前の自分を思い出したので、「自分はダメな人間」という思い込みから脱することができたのだ。すると少しずつ、鬱でないフラットな日が出始めたのだ。

で、今日急にひらめいたのだが、フラットな日(寛解期)が出てきたっていうことは、ベースになっている、気分変調症の鬱が消えたということだ。すなわち気分変調症が治ったと言うことだ、と気づいた。(10カ月も経ってやっと気づいた。)
自信喪失、自己卑下のせいでなった気分変調症が、27年後にして、治癒したのである。
良かった!!

まあ、あいかわらず、双極性障害は続いているので、寛解期と鬱期の繰り返し、しかも今は鬱期でつらいけど。
何はともあれ良かったと思う。

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック