忍者ブログ
爽やかだったり、鬱だったり。ええ、そううつってやつです。 苦節9年、2014年にやっと、正式に双極性障害の診断が下りました。 鬱とフラットをラピッドに繰り返して、滅多に「爽」や「軽躁」になりません。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


イギリスの古い謎謎。(答えは「時間」)

この世界の中で 一番長くて一番短いもの
この世界の中で 一番はやくて一番おそいもの・・・

この言葉を聞いた、高3の6月、私は、「時間や歳月に、ついていける人と、ついていけない人がいる。時間に勝つ者と、時間に負ける者がいる。私は高校生活で一体何をしてきたのか。何もできなかった。私は敗者だ」
そう思った。

誇りが完全に打ち砕かれた瞬間だった。

誇りが打ち砕かれて、その後、生きていけるか?

今私が、生きているということは、いくらかは誇りを回復したからであろう。
しかし、劣等感が強いところをみると、どうしても、誇りが打ち砕かれた時の印象を引きずっているというか、上記のイギリスの言葉が、自分がダメであることのシンボルとなって、脳裡に強烈に残っている。

誇りを砕かれる象徴的シーンがあるなら、誇りを回復した象徴になるようなシーンがあれば勇気が出て安心して強く生きられるのではないか。

何をすれば誇りを持てるのか。
成功すれば、と思う人もいるかもしれないが、私なら、努力したならば、と答える。
成功によって得られるものは、誇りとは少し違う。
精一杯頑張った日があったのなら、誇りが取り戻せると思う。
たとえ今が、与えられた状況の中でベストを尽くす程度の毎日であって、全力投球まではできない日々であっても、過去に、全力投球した日があれば、誇りは取り戻せるのではないだろうか。

18歳の9月、私は、大学のクラブのオーケストラの合宿を初めて体験した。1日の練習プログラムは、高校の時の部活ほどハードではないにせよ、1日トータル9時間半。しかも、5~6泊もある長い合宿。いつもと違う枕で大部屋で寝るのがそんな長期に渡るなんて初めてだから、それだけでも疲れる要素だ。
そもそも、オーケストラに入りたいあまり、未経験だったチェロを始めて、毎日コツコツ練習していたというだけでも、小中学生の頃の私とは大きく違う。小中学生の頃、例えばピアノは、ちゃんと練習しないのでよく先生に叱られてた。商売だからあまり強くは言わないけど。
それに中学を卒業するまでは、あまり勉強しないで良い成績を取っていて、高校に入ったら、勉強しない習慣が仇になって、数学や物理などは授業に全然ついていけなくなったような人間だ。

そんな私が、大学に入って、チェロを毎日コツコツ練習していた。そして初めて曲をもらってオーケストラの一員として定期演奏会のステージに乗ることになった。演奏会の曲目は、Sというタイトルの短い序曲と、交響曲などの長い曲が2曲の、計3曲で、私が参加するのは、Sだ。
まだ1年生なので、短い曲1曲だけなのだ。

9月の合宿で、その3曲の練習がみっちり行われた。

合宿中は、序曲Sの練習の時間になると、その部屋に行って練習に参加。それ以外の時間は、個室で個人練習をしていた。
この合宿中で、一番強い印象が残っているのが、序曲Sの練習が全く無かった日だ。私はその日、当然ながら、1日中、個室で1人で個人練習をしていた。1日9時間半も、1人で練習し続けるのがどんなにキツいことなのか私は知った。皆で練習しているのであれば、先生が注意や説明をしている時間や、他のパートだけで弾かされている時間もあって、弾いている時間の正味は大したことない。
それに比べて1人だと弾きっぱなしだ。
折しも、疲れもたまっていた。夜は時々、飲み会に参加してハメをはずし、寝るのが遅くなる日も多かった。
しかし、私は弾き通した。午前中3時間、午後3時間半、夜(10時まで)3時間。
だから偉いとか、そんなことを言うつもりはない。別にそんなに頑張らなくても、もっと休憩を取るなりしても一向に構わなかったと思う。
ただ、自分としては満足なのだ。
全力投球して燃焼しきった1日が。

この18歳の1日を、努力した自分、精一杯頑張った自分、全力投球した自分のシンボルとして脳裡に刻めば、打ち砕かれた私の誇りは取り戻せるのではないだろうか。

話は少し変わるが、私は、中3の頃、自分と言う人間の土台というか基礎が完成したように感じていた。人生観みたいなもの。
私の場合は、幼少期~児童期、ぼんやり生きていたので、あまり自我といえるものがなかった。性格的には、個性的でかなり我が強くてしつこいのだが、それは自我とは違う。そうすると、その後の第1次性徴こそが、自我形成において かなり大きな要素を握ることになる。従って、小6~中3の思春期を過ごした結果、「これが自分というものだ」と強く意識する何かがハッキリと生まれたのは、当然の流れと言えば流れではある。

しかし、女子の思春期というのは、大人の現実へスムーズにつながっていく物ではないのが問題だ。
初潮の約一年前に、女性ホルモンのエストロゲンの分泌が始まって急増する頃が思春期の始まりとされる。この時点では勿論のこと、初潮が始まっても、まだ、排卵はないとされている。いつ頃排卵が始まるのかは不明だが、初潮の2~3年後が多数派だと考えられている。
それで私は、エストロゲンの分泌はあって、排卵がない時期を、思春期とみなしている。大人の体ではないのだ。
その後、排卵が始まると、毎月排卵後にプロゲステロンという女性ホルモンが分泌される。
つまり、エストロゲンだけ分泌され、プロゲステロンが分泌されないのが思春期で、大人の女の体は、両方分泌される(ただしプロゲステロンの分泌は毎月約14日間のみ)という、大きい違いがあるわけだ。

私が言いたいのは、思春期に、エストロゲンの本能で、自我の土台を作ったつもりであっても、その後排卵が始まったら、エストロゲンだけで生きられるわけではないから、何もしなければ自我が完成するわけではないということだ。

エストロゲンがもたらす女としての目覚めによって、世界が響き合うような調和に憧れ、コミュニケーションを好むようになっても、それだけでは、少女のままであり、現実で生きていけない。

結局、人間は「本能をいかに現実生活につなげるか」にかかっているのであり、思春期に調和を求める本能が生まれてそれをアイデンティティの土台とするまでは良くても、その土台から何かを築いていくことを高校生の時にできなかった私は、大学に入って、やっと努力で何か築くことができたのである。そうしないとアイデンティテイは確立しない。

(大学に入るまでは夢を現実にするための努力をしなかったということではなく、受験勉強は、遅いスタートではあったが、高3の4月からかなり力を入れるようになり、年が明けて学校が休みになってからは、毎日8時間位は勉強していた。ちゃんと現実に目を向け始めたのが、この受験勉強の頃なのだろう。)

アイデンティティというのは、18歳頃に確立されるべし、というふうに一応学説では なっている(人生ゴムバンド説を念頭におけばもっと遅くまでかかってもいいかもしれないが)こともあり、夢を形にするべく努力したことの象徴である、チェロを練習しまくった18歳の合宿のあの日は私にとって重要なのである。

本能(エストロゲン)が求める調和の響き、それが形となったものがオーケストラ。
夢を現実にするのが、一生懸命楽器を練習すること。
そして夢を現実にする為の明確な自我が、アイデンティティである。

18歳の合宿のあの日は、誇りを取り戻せる根拠という意味でも重要なシンボルだし、夢を現実にする為の努力というアイデンティティの確立が18歳ギリギリすべりこみセーフでできるようになったシンボルとしても重要なのだ。
PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック