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爽やかだったり、鬱だったり。ええ、そううつってやつです。 苦節9年、2014年にやっと、正式に双極性障害の診断が下りました。 鬱とフラットをラピッドに繰り返して、滅多に「爽」や「軽躁」になりません。
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鬱とか自信がないというと、すぐ、「考え方のクセが原因」と考える人がいる。本当にそうだろうか?
私が今迄鬱が治りにくかったことには、多少は心因が関係しているが、元々の発症の原因に関しては、全く心因が関与していない。
というかそもそも、双極性に心因のケースなどあるのだろうか? 落ちる時は、過労とか色々な外部条件(肉体的条件含む)から影響を受けるが、気持ちの問題や考え方の問題は特には無い。少なくとも私は。
落ちる時は、いやだなあとは思うが、落ちないよう頑張るのではなくむしろスピーディーに落として寝逃げして早く治して元気になろうと、極めてポジティブな考え方をしている。それで鬱も引きずらなくなったので、この上治すべき考え方が特にあるとも思えない。


実は私は、小さい頃から高校1年の10月までは、のん気でおおらかな性格だった。そして物事を深く考えることもなく、きわめて安楽に生きていた。


自信もたっぷりだった。
まず小学生時代。全く少しも勉強しないのにすごく成績が良かった。もっとも宿題はちゃんとやっており、小学の勉強なんかそれで充分わかるはずだが、周囲は、「塾にも行かずに何故?」と思っていた様子。たいてい何をやっても上手くできてしまうのだが、そういうのを鼻にかけることは決してなく、自然体で生きていた。というのは、書初め展や硬筆展では、クラスで上手い方から4人の第1次選考には大抵入るのだが、展覧会に出す2人には選ばれたことがなく、別に選ばれたいという欲もないし、その程度の凡才なので誇るほどのことではなかった。美術関係の方がそれよりも優れていて、文部大臣賞などの賞状をしょっちゅう貰っては朝礼で表彰されていた。朝礼と言えば、朝礼台に立って指揮をしたり、参観でピアノ伴奏をするなど、音楽方面でも活躍していた。
概して、物事に不安を感じたり、心配になったりということに無縁で、きわめて精神的に安定していた。


中学になると、定期試験前以外は勉強しないのに、成績が学年で2~3位にまでなった。
交友関係はごく普通。この頃は健康状態も良く、中学は皆勤。
従って悩みなどもない。人は、悩みがあるからこそ、「どのように生きたらよいか」などと高等な考えをするのであり、材料のない私は、ただ流されるままにボーッと生きていた。友達と他愛のないお喋りなどしながら。


思春期の頃から、自分には特に音感があるということに気付くようになった。それで中学の部活では、皆の指導をするのも朝飯前だった。このことも私の強い自信の根拠となった。


高校には、頭の良い努力家で多方面の才能に溢れた生徒が集まってきていたので、音楽的にも優秀な人がいるのかと期待したけど、音楽の部活は5つもあり、私が入った部活には、特に音感の強い人はいなかった。なので、ほかの皆(もちろん先輩も含む全員)にとっては難しい曲も、私にはちょうど良い感じだった。

進学校だから当然勉強は難しく、中学の頂点の生徒が集まった結果は、一部の人以外は急に頂点ではない位置になってしまうわけで、私もとたんに勉強では平凡になってしまったが、上に書いたような事情で、私が自信をなくすことはなかった。部活では先輩が「これどうすればいいの?」と、1年坊主の私をよく頼ってくれていたので、皆の役に立てていて嬉しかった。


そんな私が、二学期の途中、最初に変だなと思ったのは、まず顔のお肌の乾燥。それから味覚の微妙な変化。少し眠気。冬になると、今まで寒さをあまり感じない体質が一変してかなり寒がりになってしまった。
そんなことがあっても、ただちには自信は失わないし、思索しない呑気な性格も初めは相変わらずだった。
しかし次第に、物事が面倒くさくなり、それまでの積極性がなくなってくるとさすがに、私はどうなってしまうのだろうかと不安になった。
子供の時から色々な音楽活動で数々のステージに立ち慣れていた私が、初めてステージで緊張を感じた高2のあの日を私は忘れられない。それは人生で初めて経験するプレッシャーというものだった。それまでは自分に自信があったので「うまくできるだろうか」と不安になることなど無かった私が、今や自信を失い始めていたのだった。
それからは、おおらかだった性格が、徐々に神経質になっていったし、物事を難しく考えるようになったのだった。
それでも常に前向きであり、悲観的にはならなかったけど、すっかり自分を責め、卑下するようになってしまったのだった。


私が言いたいことは、原因と結果の取り違えということはよく起きうるのであり、一部の人の場合は、自信がないから鬱になる(自信がないのは鬱の原因)のに対し、私の場合は、鬱の影響により自信を失った(自信がないのは鬱の結果)というわけなのである。


従って私は、自分を卑下しないまともな自分を取り戻す為に、薬と生活の工夫によって鬱を最大限コントロールしようと思うのである。

ああまた長文書きに時間を費やしてしまった。まだまだ左脳的すぎる(直前からの流れで行動してしまう)なあ。もっと右脳的(全体を俯瞰できる)にならないと。要領が悪いと鬱は寛解しないぞ。

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