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爽やかだったり、鬱だったり。ええ、そううつってやつです。 苦節9年、2014年にやっと、正式に双極性障害の診断が下りました。 鬱とフラットをラピッドに繰り返して、滅多に「爽」や「軽躁」になりません。
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昨日5/7は、「自信の無さと鬱との関係」という文を思いつくままにupする一方、日記は文章がまとまらず、ついに完成しなかった(後から完成させてupするかもしれない。表示順はどうなるか分からないが)。つまり過集中が見られる一方で、思考の減退も見られた。
今日もそんな調子である。現在、カーテンを改良したは良いが、後始末をせずに、家の中が散らかりまくっていて、片づける気力がない。ガーッとやり、サッと飽きる。気分の波の中のどこかに引っかかってしまった日に、そういう出来事が発生する。
のめりこみ、過集中、見通しの悪さ、こうしたものは、(特定不能の)発達障害を思わせなくもないが、乳幼児期を含む子供の時、発達障害らしいエピソードは無く、かわいそうな子アピールをするという奇妙な行動(学校で)がある以外は普通の子供だった。
まあ、のめり込みで粘着で執着なのは、前の記事にも書いた通り、生まれ持った気質であり子供の時の性格なのだが。(かわいそうアピールをするのも、執着心が強すぎていつも寂しかったからだ。)
私は普段はバランスを大切にし、過集中をしないよう抑えているのだが、時には丸出しになってしまうのだなあ。
一方、思考散漫という症状のほうは子供の時には無く、鬱で通院を始める1年前に初めて出たので、躁ないし躁鬱混合状態の症状であろう。
ただ、見方を変えれば、昨日今日のような状態の私は、物事を洞察する行為には思考力を発揮し、現実生活に適応する為の思考力には欠けるという状態だとも言える。だとすれば、散漫は、のめり込みと表裏一体であり、現実生活から距離ができてしまっている状態ということだ。どうすれば自分を引きもどせるのだろうか。
実はこのブログでの日記も、私を現実につなぎとめる為の効果を無意識の内に狙っていたのかもしれない。その日記が書けないというのは、私がうまく現実に戻れないという状況を如実に示しているのかもしれない。
困ったものだ。
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