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同じ病気の多くの方がそうであるように、私も、精神科(心療内科)にかかり始めたのは、鬱によってだった。
それがいつから、躁鬱の傾向があるという話になったかというと、
決して、ある日突然、
「あなたは双極性障害ですね」と告知された、というようなことはない。
毎月の診察の中で、少しずつ、医師・患者双方で合意に達していったのだ。
抗鬱剤を飲み始めて3か月後、いつになく良い状態になって、何でもスイスイできるようになって、その様子を話すと、主治医は、「良かったですねー」と言ってくれた。
後になって思えば、この時、抗鬱剤を減らした方が予後は良かったのだろうと思うのだが、そのような動きがなかった所を見ると、私はもちろんのこと、主治医も、それが軽躁状態であるとは思わなかったのだろう。
しかし、翌月から急に上がったり下がったりの波が出てきて、
次第に私は、「あれは抗鬱剤による躁転であって、その影響でラピッドな波が出てきてしまったのだ」ということに気づいた。
そして主治医は、
「昔から気分の波があったんでしょ?」と、断定するように言うので、
「いいえ、まったくそんな経験はありません」と即座に答えた。
だって、ある日普通に調子良いと思ったら、次の日は起きたら何故か鬱になっている、という体験に、少しでも近いようなものは、何も感じたことがなかったからだ。
気分に上下があった覚えは、全くなかった。
しかし今思うに、調子の良い時と悪い時が、あったのかもしれない。
双極性の素質のようなものがあったのかもしれない。
中学1年の時の、何か虹色に輝いているような、鐘の音が鳴り響くような、あの感じ…
私はそれは、「今まさに多感な思春期だからなのねっ」と思っていた。
学校の文化祭の感想という作文の課題で、一体どう書いたのか忘れたが、
「こんな感覚を描写できるなんてすごい」と、先生にやたら褒められた。
今にして思うと、小6の時に激しいストレスがあったり、
その一方で歓喜をもたらすエストロゲンの分泌が押し寄せてきて、
本来持っていたかもしれない双極性の素質が、開花した瞬間だったのかもしれない。
前駆的には、小6の10月1日に、空が雲一つなく晴れ渡って、秋の空気が何てすがすがしいんだろうと思い、
とりたてて何の出来事もなかった1日だったのに、今でもその印象をくっきりと覚えているほどの「爽」状態…
別のある木曜日には、まるで水の中に柔らかく差してくる光にもうちょっと色をつけたような、穏やかな輝きを見たり…。
そして中1になって何だか明るい性格になったし、それまでになかった喜びを体感するようになった…。
それに対して、中2の1年間は、なんかイマイチぱっとしなくて、決して憂鬱ではないものの、何となくくすんだ心象風景。
1学期の朝礼で教頭先生が、「中2は最も活躍し、実り多い年」と言ったけど、それを聞いて私は、
「私は違うのよねー、私だけ違うなんて嫌だなー」と思った。
中2の1年間は自分はつまらないのだと(今後も楽しい展開はないのだと)、自分の中で言い切ったのは不思議だけど、事実そういう1年間になった。
中3の時は、自分を取り巻く全てのものが、素晴らしい味わいを持って感じられた。ハイだった。充実してた。
「神様に感謝。道端に咲く一輪の花にでも、何にでも感謝」と作文に書いたら、これまたえらく褒められた。
そんなだったから、その後、高校1年の途中から気分がスーッと下がっていったのは、当たり前かもしれない。
しかし、原因が分からなかった私は、「自分は怠けている」「ダメな人間」と決めつけて、それ以来性格が変わってしまった。
神経質、プレッシャーに弱い、自分を異常に卑下するというふうに…。
そしてすっかり、頑張ろうとしてもヤル気が出づらく、何事を行うにも苦労する抑うつ的人間になって今に至る。
その中でも、比較的普通に行動していたかもと思えるのが27歳頃、また、
1歳半の子を抱えていても朝8時には全ての洗濯物を干し終えていた(←これは普通の人にとっては当たり前のことかもしれないが、ダメダメな私にとっては妙に快調なことなのである)31歳頃~行動的かつ積極的だった32歳頃など、
あまり抑うつ的でない時期も見られた。
何かが輝いているような不思議な感じは、自分を卑下する抑うつ人間になってからもあった。
世界が調和してハーモニーが鳴り響いて(共振して)いるような…。
宇宙の摂理と一体になったような…。
34歳で下の子が生まれた時、絶好調になった。
あれほど足りなかったエネルギーが、力強く湧いてくるのを感じた。
まあそれは、神様のパワーを持った新生児に共振していただけだけど。
でもちょっと経って、生後6か月ぐらいの時も、私にしては、いつになく調子が良く、あらゆる出来事を、まるで普通の人のように、スイスイこなしていた。
じゃあその後、どんなストーリーが待ち受けているかは、皆さん、今想像したでしょ。
でも、いきなり鬱が来たのではなかった。
まずは、「爽」状態から、明らかな「躁状態」の生まれて初めての混乱に突入した。楽しくない躁状態。
軽躁なので、人に迷惑をかけることはやらかさないし、楽しくないので、躁状態と気づかない。
ただ何だかゴチャゴチャして忙しくて自分がよくわからなくなって。
で、1年後、起きれなくなって寝込んだ。それで今通っているクリニックへ行き始めたというわけ。
タイトルに「若い頃」とつけた割には、36歳までのストーリーになっちゃったけど。
結局言いたかったのは、精神科に通い始めて以後、ラビッドな(日単位の)波が続いている私
(もちろん治療の効果はあって、寛解に近くなってきている)だけど、
その前には気分の上下はなかったと思っていたけど、気づかない程度の好不調はあったんだなーということ、今よりもゆっくりな、年単位の感じの波だったことを述べたわけで、
もう1つ今日気づいたことは、その双極性の素質というのは、実は他の人とは違うかもしれない脳であって、
そのことが、違う価値観を作り出しているかもしれないということ。
私は今迄、他の人も私と同じような楽しい気持ちになるのだと思っていた。
でも実は、違うのではないか?
そう思ったのである。
もちろんそれは、私の方が、他の人より人生を楽しんでいるという意味ではない。
むしろ人並ならぬ苦しみが中心の人生だ。
でも私は、既に10代の時に、もう思っていたのである。
「私は傷つきやすい性格で悲しくつらいことばかり多いけど、心が敏感な分、喜びもまた、人より多く感じるのではないか」と。(しかも、もしかすると、あの高1の抑うつ発症よりも前に既に思っていたかもしれない。)
しかし、その喜びが、私の価値観にまで影響を及ぼしているとハッキリ意識したのは、今日なのである。
長くなったので、続きはまた今度。
それがいつから、躁鬱の傾向があるという話になったかというと、
決して、ある日突然、
「あなたは双極性障害ですね」と告知された、というようなことはない。
毎月の診察の中で、少しずつ、医師・患者双方で合意に達していったのだ。
抗鬱剤を飲み始めて3か月後、いつになく良い状態になって、何でもスイスイできるようになって、その様子を話すと、主治医は、「良かったですねー」と言ってくれた。
後になって思えば、この時、抗鬱剤を減らした方が予後は良かったのだろうと思うのだが、そのような動きがなかった所を見ると、私はもちろんのこと、主治医も、それが軽躁状態であるとは思わなかったのだろう。
しかし、翌月から急に上がったり下がったりの波が出てきて、
次第に私は、「あれは抗鬱剤による躁転であって、その影響でラピッドな波が出てきてしまったのだ」ということに気づいた。
そして主治医は、
「昔から気分の波があったんでしょ?」と、断定するように言うので、
「いいえ、まったくそんな経験はありません」と即座に答えた。
だって、ある日普通に調子良いと思ったら、次の日は起きたら何故か鬱になっている、という体験に、少しでも近いようなものは、何も感じたことがなかったからだ。
気分に上下があった覚えは、全くなかった。
しかし今思うに、調子の良い時と悪い時が、あったのかもしれない。
双極性の素質のようなものがあったのかもしれない。
中学1年の時の、何か虹色に輝いているような、鐘の音が鳴り響くような、あの感じ…
私はそれは、「今まさに多感な思春期だからなのねっ」と思っていた。
学校の文化祭の感想という作文の課題で、一体どう書いたのか忘れたが、
「こんな感覚を描写できるなんてすごい」と、先生にやたら褒められた。
今にして思うと、小6の時に激しいストレスがあったり、
その一方で歓喜をもたらすエストロゲンの分泌が押し寄せてきて、
本来持っていたかもしれない双極性の素質が、開花した瞬間だったのかもしれない。
前駆的には、小6の10月1日に、空が雲一つなく晴れ渡って、秋の空気が何てすがすがしいんだろうと思い、
とりたてて何の出来事もなかった1日だったのに、今でもその印象をくっきりと覚えているほどの「爽」状態…
別のある木曜日には、まるで水の中に柔らかく差してくる光にもうちょっと色をつけたような、穏やかな輝きを見たり…。
そして中1になって何だか明るい性格になったし、それまでになかった喜びを体感するようになった…。
それに対して、中2の1年間は、なんかイマイチぱっとしなくて、決して憂鬱ではないものの、何となくくすんだ心象風景。
1学期の朝礼で教頭先生が、「中2は最も活躍し、実り多い年」と言ったけど、それを聞いて私は、
「私は違うのよねー、私だけ違うなんて嫌だなー」と思った。
中2の1年間は自分はつまらないのだと(今後も楽しい展開はないのだと)、自分の中で言い切ったのは不思議だけど、事実そういう1年間になった。
中3の時は、自分を取り巻く全てのものが、素晴らしい味わいを持って感じられた。ハイだった。充実してた。
「神様に感謝。道端に咲く一輪の花にでも、何にでも感謝」と作文に書いたら、これまたえらく褒められた。
そんなだったから、その後、高校1年の途中から気分がスーッと下がっていったのは、当たり前かもしれない。
しかし、原因が分からなかった私は、「自分は怠けている」「ダメな人間」と決めつけて、それ以来性格が変わってしまった。
神経質、プレッシャーに弱い、自分を異常に卑下するというふうに…。
そしてすっかり、頑張ろうとしてもヤル気が出づらく、何事を行うにも苦労する抑うつ的人間になって今に至る。
その中でも、比較的普通に行動していたかもと思えるのが27歳頃、また、
1歳半の子を抱えていても朝8時には全ての洗濯物を干し終えていた(←これは普通の人にとっては当たり前のことかもしれないが、ダメダメな私にとっては妙に快調なことなのである)31歳頃~行動的かつ積極的だった32歳頃など、
あまり抑うつ的でない時期も見られた。
何かが輝いているような不思議な感じは、自分を卑下する抑うつ人間になってからもあった。
世界が調和してハーモニーが鳴り響いて(共振して)いるような…。
宇宙の摂理と一体になったような…。
34歳で下の子が生まれた時、絶好調になった。
あれほど足りなかったエネルギーが、力強く湧いてくるのを感じた。
まあそれは、神様のパワーを持った新生児に共振していただけだけど。
でもちょっと経って、生後6か月ぐらいの時も、私にしては、いつになく調子が良く、あらゆる出来事を、まるで普通の人のように、スイスイこなしていた。
じゃあその後、どんなストーリーが待ち受けているかは、皆さん、今想像したでしょ。
でも、いきなり鬱が来たのではなかった。
まずは、「爽」状態から、明らかな「躁状態」の生まれて初めての混乱に突入した。楽しくない躁状態。
軽躁なので、人に迷惑をかけることはやらかさないし、楽しくないので、躁状態と気づかない。
ただ何だかゴチャゴチャして忙しくて自分がよくわからなくなって。
で、1年後、起きれなくなって寝込んだ。それで今通っているクリニックへ行き始めたというわけ。
タイトルに「若い頃」とつけた割には、36歳までのストーリーになっちゃったけど。
結局言いたかったのは、精神科に通い始めて以後、ラビッドな(日単位の)波が続いている私
(もちろん治療の効果はあって、寛解に近くなってきている)だけど、
その前には気分の上下はなかったと思っていたけど、気づかない程度の好不調はあったんだなーということ、今よりもゆっくりな、年単位の感じの波だったことを述べたわけで、
もう1つ今日気づいたことは、その双極性の素質というのは、実は他の人とは違うかもしれない脳であって、
そのことが、違う価値観を作り出しているかもしれないということ。
私は今迄、他の人も私と同じような楽しい気持ちになるのだと思っていた。
でも実は、違うのではないか?
そう思ったのである。
もちろんそれは、私の方が、他の人より人生を楽しんでいるという意味ではない。
むしろ人並ならぬ苦しみが中心の人生だ。
でも私は、既に10代の時に、もう思っていたのである。
「私は傷つきやすい性格で悲しくつらいことばかり多いけど、心が敏感な分、喜びもまた、人より多く感じるのではないか」と。(しかも、もしかすると、あの高1の抑うつ発症よりも前に既に思っていたかもしれない。)
しかし、その喜びが、私の価値観にまで影響を及ぼしているとハッキリ意識したのは、今日なのである。
長くなったので、続きはまた今度。
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